「会津考察」カテゴリーアーカイブ

会津の街を写真と共にコラム形式で紹介. 会津は心のふるさとです.会津人は「ならぬことはなりませぬ」の精神で,戊辰戦争以降,ゆっくりとした時の刻みの中で,会津文化を守ってきました.そんな会津を紹介します.

大山祇神社の大山まつり(西会津町)【会津考察#43】

Oyama Festival of Oyamazumi god Shrine (Nishiaizu-town)


大山まつり

 


 大山まつりは,家内安全・五穀豊穣を祈願する祭りで,毎年6月1日~30日の間,大山祇神社(西会津町)で行われている. 大山祇神社は野沢の山の神として広く知られた神様で,遇拝殿が大久保集落にあり,本社は歩いて一時間ほどの大倉山八合目に,そして奥の院が山頂に祀られている.
 
駐車場から境内まで歩いて向かう

大山まつり警察本部

大山祇神社の遇拝殿参道.大久保集落にある.
ちなみに本殿は大倉山の8合目(さらに徒歩1時間).

参道には出店が.
 
大山みやげ.せんべいにあげまんじゅう.ソフトクリームもある.

大山祇神社遇拝殿

大山祇神社遇拝殿

多くの願いが書かれて納められている祈願札

神社から見た参道
 
帰りは西会津名物の味噌ラーメン.
【公共交通案内】
●JR磐越西線 野沢駅下車 大山まつり開催時は西会津町民バスによる臨時バス運行

旧喰丸小学校(昭和村)【会津考察#42】

Former Kuimaru Elementary School (Showa-Village)


旧喰丸小学校の校舎玄関

 



旧喰丸小学校は,田島から国道400号を走ってきて,
国道401号とのT字交差点を越えた右側にある.
(住所は,福島県大沼郡昭和村大字喰丸字宮ノ前1374)
 旧喰丸小学校は,福島県大沼郡昭和村にあった小学校である.1937(昭和12)年に現存する木造校舎が建てられたが,1980(昭和55)年に統廃合により昭和小学校へ統合されて廃校となった.老朽化が激しく取り壊される予定であった木造校舎であるが,坪川拓史監督の映画「ハーメルン」の舞台として撮影されることとなり,撮影完了まで取り壊しが延期されることとなった.2013年7月現在でも校舎の取り壊しは行われていないが,いずれ解体の決断が下されるときを静かに待っている感じがする校舎である.校舎の前には大きなイチョウの木があって,これもまた木造校舎にとてもよいアクセントを与えている.今回は展示会を校舎内で開催していたため,中に入ることができた.

からむし織の里フェア実行委員会の主催により,
森本紀久子展を開催していた.

玄関(入口)を入ったところ

校舎内には,当時の小学生が描いた絵画が
そのまま壁に掛けられている.
机の上に置かれているのは,今回展示の作品.

1・2年生が使っていた教室
  
昔ながらの木の机が残っている.
映画ハーメルンでは,この教室も使われた.当時のまま.

教育目標.当時のまま.

勉強のしかた.当時のまま.

映画のシーンに出てくる鳥・キツツキ?

1979(昭和54)年,廃校前当時の写真がそのまま廊下に掲示されている.
これも映画ハーメルンに出てくる.

静かに余生を送っている旧喰丸小学校なのである.
【公共交通案内】
●会津鉄道 会津田島駅下車 車で約40分
==映画「ハーメルン」の感想==
 能楽を見ているかのような静かにゆったりと流れる映画です.つまり,見る人の感性と想像力によって,それぞれ感動の場面が違ってくる映画です.じんわりと涙が溢れてくる映画でした.
本当の主人公は,校長先生であり,綾子先生であり,リツコのお父さんだと思います.大きな懐の優しさと,だんだんと消えていく寂しさと,けれど最後は心地よい充足感に満たされる映画でした.イチョウから降ってくる鶴の折り紙は,現役世代の野田へ託された願いだったのでしょう・・・,これを見て野田が微笑んでいる姿がとっても救われました.
恐らく,きっと,ミドル世代(それも女性)からじわじわと口コミが広がる映画です.繰り返しになりますが,このゆっくりとした流れが,最後に心地よい感動と満足感につながります.

物産市&Hey!ちゃん市(会津若松駅前)【会津考察#41】

Product exhibition & station square Hey!chan exhibition (The Aizu Wakamatsu station square)


会津若松駅前で開催される物産市

 


 ここ数年,夏になると会津若松駅前のタクシープールと,その隣の駅前公園を使用して「物産市&駅前Hey!ちゃん市」が開催されている.タクシープールではミニSLが運転されていて,無料で乗車することができるので,子供たちには大人気な催しである.物産市では,会津地方各市町村を始め,新潟市や米沢市からも出店があって,夏のひとときを過ごす楽しいイベントである.2013(平成25)年は7月15日に開催された.
 
会場では,ミニSLが走っている.
 
各市町村の物産市が開かれている.

ミニSLは無料で乗ることが可能.
 
駅前公園の方でも開かれている.
 
米沢と新潟からも出店.

湯川村からは「米」

あかべぇ登場!

七日堂裸まいり(柳津・福満虚空蔵尊圓蔵寺)【会津考察#40】

Naked festival in fukuman-kokuzouson-enzoji (Yanaizu town)


綱によじ登る群衆

 


 七日堂裸まいりは,柳津・福満虚空蔵尊圓蔵寺の菊光堂(本堂)の大鰐口を目指し 雪の中を下帯一つの男たちが走るお祭りで,毎年正月7日に開催されている.民衆の力で只見川に凄む竜神を追い払ったという伝説にちなんだものだといい,一年の幸福と無病息災を祈願する.奇祭のひとつに数えられている.一般客の参加も可能で,その場合は月見が丘町民センターにて着替えを行って,本堂の大鰐口を目指す.

月見が丘町民センター(宿泊・温泉施設完備)
一般客はここに集合して,下帯に着替える.

下帯はカウンターで販売している.

出陣前に気合いを入れる男衆.

ひぇ~,寒い!!

圓蔵寺到着.水で清める.

113段の石段を駆け上がると・・・

菊光堂(本堂)の中に到着.
綱を目指して群衆が群がる.

菊光堂(本堂)の中はすごい熱気で,暑い,熱い!
 
わっしょい!わっしょい!のかけ声が続き,
上を目指して綱を登る.
周りの群衆は,登るのを阻止しようとして,ひきづり降ろす.
でも,子供の場合は,逆に上へ上げるように後押しする.

上からは,後ろ側にある階段で下に降りてくる.

終了すると破魔矢などが手渡される.
   
そして,階段を下りたところで,日本酒が振る舞われる.
これで今年一年,無病息災である.

月見が丘町民センターには,
暖かい??足湯(洗面器)が用意されている.
汚れを落とすためのものであるが...
【公共交通案内】
●JR只見線 会津柳津駅下車 徒歩15分程度

城前団地(会津若松市)【会津考察#39】

Siromae Housing complex (Aizuwakamatsu city)


城前団地

 


 一歩足を踏み入れた瞬間,背中にゾクゾクとしたものが走った.このようなすばらしい思想を持った団地開発があって,いまだに現存しているのである.周りの人に城前団地のことを聞くと,決してよい話が返ってこない.今となっては老朽化が激しく,入居者の高齢化も進み,魅力的な居住スペースとは言い難くなってしまった感のある団地なのであろうが,建設当時としては日本の最先端をゆく設計思想が入った団地開発だったはずである.
城前団地の面積は約5.6ha,鶴ヶ城のすぐ近くの北東側にあって,さまざまなタイプの中低層住宅を中心とした団地が建ち並んでおり,市営住宅が多いのであるが,一部県営住宅や民間住宅も混じっている.さらに団地中央には都市公園が整備されており,児童センターや保育園,近隣商業施設(今は機能していない),公衆浴場(銭湯)などの施設もきちんと計画されており,1960(昭和35)年という整備年次を考えると,日本の団地の先駆けであった貴重な開発なのである.
明治時代には,歩兵部隊の兵舎があったところで,戦後は引揚者用の住宅となっていたという.その後,1954(昭和29)年に公営住宅法を受けて,国からの補助金により公営住宅の整備を始め,1960(昭和35)年の住宅地区改良法を受けて,兵舎の住宅を除却し現在の改良住宅を整備したという.
城前団地は建替計画が進められており,平成16(2004)年からは新居入居を行わないこととしているという.今後は順次取り壊しが行われる城前団地であり,この貴重な歴史的遺産ともいえる団地開発を,無くなる前にこの目にとどめておきたいものである.
参考文献:「会津若松市のまちづくりにおける城前団地(福島大学)」

2階建ての低層住宅.
1~2階が使用できるメゾネットタイプのようである.
 
2階建ての低層住宅.
  
2階建ての低層住宅.
 
3階建ての中層住宅.
 
3階建ての中層住宅.
 
3階建ての中層住宅.
  
団地の中央には「つばくろ公園」が配置されている.

保育園も配置されている.保育園は真新しい建物である.

町内会案内図

4階建ての中層住宅であるが,
1階部分は近隣商店街として店舗の入るものであった.
 
平屋建てのものもある.

市道に面した中層住宅.1階の店舗は皆休業.

風呂が設置されている部屋が少ないため,
公衆浴場も配置されている.
  
いろいろなタイプの団地が建てられている.

改造が年月を物語る.
【公共交通案内】
●まちなか周遊バス(ハイカラさん) 若松駅→七日町→鶴ヶ城北口→若松駅(逆回りは「あかべえ」)

束松峠ウォーキング大会(会津坂下町)【会津考察#38】

Tabanematsu Pass walking Festival (Aizubange-Town)


束松峠ウォーキング大会のスタート地点
高寺公民館

 


 束松峠は,福島県会津若松から新潟県新発田に通じる旧越後街道にある峠で,江戸時代における参勤交代路でもあり,また越後から入ってくる塩の道であったことから,当時は大変賑わっていた峠である.旧街道沿いには沢山の史跡が残されており,地元団体である「束松峠を護る会」の活動によって旧街道の保全活動などが行われており,毎年秋には束松峠ウォーキング大会実行委員会(高寺地区公民館)主催によってウォーキング大会が開催されている.

高寺公民館に集合.受付を済ませる.
 
史跡の紹介写真が掲示されている.
右の写真は,只見川に架けられていた舟橋.高寺(舟渡)と片門を結んでいた.

最初は,アスファルトの道路を歩いていく.
 
束松事件現場.手書きの案内看板が立てられている.
元越前藩士・久保村文四郎が会津藩士・高津仲三郎らによって殺害された事件とのこと.

県道・別舟渡線を歩く.

天屋・本名の集落を歩く.
近世の越後街道がここを通るようになると,宿(間の宿)として賑わったところ.
旅籠が軒を並べて,中追馬の基地であった.
束松峠に向かって,道路右側が「天屋(てんや)」,
道路左側が「本名(ほんな)」の集落となる.

集落を過ぎると,なだらかな土の道となる.
 
地元団体の方により,案内板などがつけられている
 
よく見ないと分からないが,歩きやすくするために敷かれた石畳道.
 
一里塚.
越後街道の会津側に残る唯一のもの.男壇と女壇がある.
 
洞門の入口
1882(明治15)年,越後街道の道としてこれまでの急峻な束松峠ではなく,
藤峠(現在の国道49号)を経由にすることになった.
そこで,高寺地区民は旧越後街道の賑やかさを再び取り戻そうとして,
自力で230m程の洞門を掘った.
しかし,鉄道の時代が到来し,夢は叶えられることなく,洞門跡が残ったものである.
夢とロマンのある洞門なのである.

束松峠の頂上.標高460m.
その名の通り,かつては峠の茶屋が2軒並んでいて,あんこ餅が有名だったとか.
はるか彼方に磐梯山が望める.
 
峠の茶屋の名物だった「あんこ餅」
三本松で振る舞われる.
 
松が束ねられているから「束松」
そのひこ(曽孫)にあたる松が生えている.県の天然記念物.
 
ゴールの高寺公民館では,豚汁が振る舞われる.

ウォーキング大会で配布されたマップ
【公共交通案内】
●JR只見線 塔寺駅下車 車で約10分

猪苗代湖漂着水草回収ボランティア(天神浜)【会津考察#36】

Volunteer activity (Tenjin Beach in Lake Inawashiro ) to collect a waterweed cast ashore


猪苗代湖畔に集めた水草(天神浜)

 


 猪苗代湖の湖岸には,風に流れて毎年多くの水草が打ち上げられている.打ち上げられた水草が腐敗することにより水質悪化の一因になっているため,毎年地元団体のボランティア活動によって,水草回収の作業を行っている.ボランティア活動は「清らかな湖,美しい猪苗代湖の水環境研究協議会,ロータリー猪苗代湖水環境協議会」の主催で,9月~10月の毎週土日の午前中に行われている(土曜日は天神浜,日曜日は松橋浜).2012(平成24)年10月13日(土)・天神浜にて参加した模様をお伝えする.

10時から作業開始.作業前の集合ミーティング.
本日は,関東の大手電機メーカーのボランティア団体も参加し,総勢100名を超えた.
長靴と軍手は自分で用意する.ただし,ビニール製の手袋はもらうことができる.

作業で使用する道具は貸し出ししてくれる.

天神浜に打ち上げられている緑色の水草.
これを回収する.
 
このようにみんなで回収.結構いい運動になる.

集めた水草は,バスケットに入れる.

そして,軽トラックに乗せて搬出する.
この水草は堆肥にするとのこと.

作業は午前中で終了となる.

銀山峠ウォーキング大会(柳津町)【会津考察#37】

Ginzan Pass walking Festival (Yanaizu-Town)


軽井沢銀山跡地にある煉瓦の煙突

 


 銀山峠は,福島県柳津町の久保田と軽井沢を結ぶ銀山街道の途中にある峠である.銀山街道とは,会津若松市大町札の辻(四ツ角)から南会津郡只見町小林まで約72
㎞にわたる街道で,戦国時代後期から明治時代中期にかけて日本屈指の銀山(軽井沢銀山)から採掘された「銀」を運搬する人達の往来が盛んだった街道である.銀山は,1896(明治29)年に閉山され,それとともに峠越えの往来は減少して衰微の一途をたどっていった.地元団体の「銀山峠を復活させる会」では,この往年の賑わいを復活させようと,旧街道の利活用に取り組んでおり,毎年秋にはウォーキング大会を実施して,往時を偲んでいる.2012年秋のウォーキング大会の模様をお伝えする.
 
久保田側の入口
地元団体により,銀山峠の道標が建てられている.

緩やかな坂が続いていく
 
旧街道を忠実に歩いていく.
一部,道なき道を歩いていくところもある.
 
そして,途中整備された道路を少し歩いていく.

視界がひらけるところでちょっと休憩.
  
ふたたび,緩やかな山道へ.
急登はないので,ウォーキングしやすい.
 
軽井沢銀山を見下ろせる丘の上に,石の祠がある.
なんか,ドラクエっていう感じ.

軽井沢銀山の煙突跡が見下ろせる.
 
ひらけてくると,まもなく軽井沢となる.

軽井沢銀山は,採掘当時は大変賑わっていたといい,
福島県内で一番初めに電灯がついたのは,ここ銀山だという.
現在,坑道は閉鎖されており,建物も取り壊されているが,
巨大なレンガ造りの煙突のみが,当時のままの建造物として残っている.

これが,そのレンガ造りの煙突.
ただし,レンガの崩落がはじまっており,近づくのは危険である.
 
このような感じで,レンガが足下にゴロゴロ落ちている.

軽井沢銀山のあったところ.
【公共交通案内】
●JR只見線 会津柳津駅下車 車で約20分

会津藩奴隊【会津考察#35】

The Aizu-han Yakko tai

鶴ヶ城を出陣する会津藩奴隊
(会津まつり(2012年))

 


 白虎隊ではありません.奴(やっこ)とは,武士が外出する時の荷物を運ぶなど,いろいろな雑務を行っていた人で,主に農民や町民が雇われていることが多かったという.会津藩奴隊(やっこたい)は,この奴に扮装してお祭りなどで演技を行っている団体である.会津まつりのメインイベントである「会津藩公行列」では,朱色の顔をした奴隊が先陣をきって演舞を行うことから,見所のひとつとなっている.隊列は,前から順に「旗持ち」「先払い」「露払い」「表道具」「草履」「挟箱」「毛槍」となっており,およそ40名の隊列が会津の街を練り歩く.
2012(平成24)年の会津まつりはあいにくの雨模様であったが,沿道には多くの見物客で賑わっていた.その時の模様をお届けする.
 
会津まつりのメインイベント「会津藩公行列」の先陣をきって出陣する会津藩奴隊
鶴ヶ城から市内へ練り歩く.

<<旗持ち>>

<<先払い・露払い>>

<<表道具>>

<<挟箱>>

<<毛槍>>

沿道から声援をもらって会津若松市内を練り歩く

毛槍を投げるパフォーマンスは見せ場のひとつ
ここで拍手がわき起こる.

立木観音(恵隆寺)【会津考察#34】

The Tachiki Kannon (The Etyu temple)


立木観音堂(恵隆寺)

 


 立木観音は808(大同3)年に弘法大師が観音菩薩の霊感を受け,根がついた巨木に彫刻されたと伝えられており,国の重要文化財に指定されている.子年生まれの守護本尊となっている.像高7.4m(総高8.5m)で国内でも最大級の千手観音であり,観音像の左右には二十八部衆と風神・雷神が安置されている.また,観音堂は鎌倉時代の和洋建築物で,こちらも国の重要文化財に指定されている.観音堂内には「だきつき柱」もあって,抱きついて願い事をすれば満願成就するとして信仰を集めている.会津ころり三観音のひとつである.

駐車場脇には「仁王門を通るのが正式な御参拝です.近道はしないことです」との立て看板が.

ということで,仁王門を通って参拝へ.

参道

清浄水
約250年前に地下10mまで井戸が掘られて湧き出す天然水.

観音堂
300円の拝観料を払って,中に入ることができる.
そして立木観音像を間近に拝むことができる.
是非中に入って間近に拝むことをお勧めする.お堂が小さいので大きく見えて圧巻である.
扉をつけることができないので,観音像前面には斗帳という垂れ幕が掛けられている.
【公共交通案内】
●会津若松駅から JR只見線 会津坂下駅下車 約3.2km